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大阪城に行ってきたので、少し語ってみた


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今回は、大阪城について少し語りたいと思います。

大阪城に行って来ました!

僕はお城が好きなので、少し、大阪城についての豆知識を語っておこうかと思います。

築城主
豊臣秀吉
築城年
1583年(天正11年)
主な改修者
徳川秀忠
主な城主
豊臣氏、奥平氏、徳川氏

大阪城といえば大坂の陣

大阪城といえば!大阪の陣ですね。

大坂の陣は、非常におもしろい。

豊臣方の敗因

なぜ、難攻不落の城、最強の城と言われた大阪城が落ちたのか。

一つは、家康が大阪城の堀を埋めたということ。

一つは、権力構成です。

堀を埋めた家康

大坂の陣といえば、冬の陣、夏の陣がありますが、冬の陣のあと、家康はなにもしていなかったわけではないのです。

冬の陣がおわり、和睦するときに、その条件として、大阪城の堀を埋めることを提示していたわけです。

当然ながら、戦争の達人が集まる豊臣家臣らは断固反対します。

堀を埋めるということは、城の防衛の根幹を壊すことを意味します。

それをやったらまた攻められることは目に見えていたわけです。

しかも、真田日本一とも言われた、真田幸村がいたわけですから、そう簡単には堀をうめることは許すはずはないのです。

では、なぜ、家康は堀を埋めることができたのか。

それがもう一つの理由。

権力構成です。

豊臣方の総大将は、秀頼です。

秀頼は秀吉の晩年に生まれた子どもで、まだ、大人とは言えない子でした。

そんなときに、権力を持つのは、誰でしょうか。

そう。母親です。

権力を持っていたのが淀殿だった

淀殿が権力を握っていたわけです。

その淀殿は戦の素人も同然。

かつ、城を攻められて恐怖も感じていますから、それは、早く、安全になってほしいと考えるのが当然です。

そんなわけで、迅速に家康との和睦を家臣に命じるわけです。

 

そして、大阪城の防衛力を壊すことに成功した家康は、夏の陣をしかけ、大阪城を落としたということなんですね。

歴史の勉強法

僕は真田幸村が昔から好きなんです。

それで、真田幸村から派生して、大坂の陣についても知りました。

 

歴史を勉強するときに大切なのは、圧倒的に人、人物です。

人物を知れば、興味が広がります。

政治をするのも、戦争をするのも、なにか歴史に残ることをするのは、必ず人です。

なので、歴史を勉強するなら、まずは自分の好きな歴史上の人物を一人見つけて、そこから背景や人物像を深掘りしていく。

そうすると、非常に深まりますし、人にも語れるようになるので、楽しさが2倍にも3倍にもなります。

 

ぜひ、歴史を勉強する際は、人物から広げていくのをオススメします。

最後に

今回は、大阪城について少し語りつつ、歴史の勉強法について書いてみました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

では。

追記:大阪城のスタバおしゃれ。なんかタカとフクロウを触らせてもらった。